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今朝もうららかな朝と呼ぶには少しばかり気が早い、日が昇ってまだ間もない時刻にきっちりと目を覚ました。目を覚ましたが、体を起こすにはあと四十二秒ほどの猶予がある。ゆらゆらと夢の残照を反芻して確認すると、無稽なほど乱雑に構成された時と空間の中、奴だけが変わらぬ笑顔で浮かび上がってきた。何日連続来るのだよ、と頭のなかでごちると、口の内側がふにゃふにゃとしたのが分かる。唇の端が数ミリ曲がっている証拠だ。なげかわしい。さてもうそろそろ支度をせねば、ジンクス通りの起き上がり方をして寝室をひとまず後にする。ぐっと室温の下がる廊下は耳や襟元に冷気を忍び寄らせるが、頭がきんと覚めることもありそう悪いものでもない。まばたきのたびにちかちかとあのにんまりとした微笑が脳裏を踊る。練習漬けの毎日で代謝を早めても朝はいかんせん血の巡りが鈍いこの体に、毎日毎夜に近いほどまぶたの裏に映るお前の像が目覚ましになっているなどと、本人には決して教えない。裸足の重たい足音は以前よりほんの少々だけ軽く響くが、一つ屋根の下に寝ない限りばれないことだ。
洗顔と歯磨きのために洗面所に立つと、うってかわってうっそりとこちらを睨む己と目が合った。我ながらいつの間に表情が凝固したかと思うが、慣れないにやつき顔をまともに拝むよりはマシである。あれは不意に目に入ってしまうと、控えめに言っても気色がおかしい。眼鏡を置くと鏡から顔を伏せてさっさと洗顔をする。さほど自分の顔が嫌いだという感情もないから、直視して滅入るとまでは言わないものの、むろん楽しいというわけでもない。額からざぶざぶ泡を洗い流してふと緑色の近眼を凝視する。これを一言で表すとして何だ。掛け慣れたアンダーリムの眼鏡を装着せずとも大体の造形は分かる、代わり映えのしない面相を一瞥し、頬を一撫でして寸の間思う。無駄だ。
なんというか、顔の部品の構造に無駄や面倒が多いのだ。埃よけどころか自身が目に入り込む異物となる睫の長さや、表面積を増やして寒さを痛いほど実感させる程度の働きしかない鼻梁の高さ、それほど大きく開かないために食事の手間を増やしている口の小ささと、己が顔面のパーツに機能美があると呼べる代物は一切ない。腹立たしい。人事を尽くしても外科的な手法でなければ口は大きく出来ない、などといったことがまた今更に苛立たしい。人が大口を開けてものを囓れないことをあざ笑うような輩が周囲にいたことも腹のむかつきを一助する。あれらの者を思い出して朝から舌打ちがひとつ落ちたので、転べ、ひどいことになれ、と下賤な猿へ向けて静かに呪う。多少の心地悪しさを覚えたので、とりあえずまた夢の映像を引っ張り出すと、奴は均整のとれた腕をやじろべえのように広げ、雲一つない空の下でくるりと回っていた。持ち直す。そう言えば、俺の夢は生まれてこのかた白黒映像の体で投影されているので、奴の髪が黒いのは一緒だな、と最初は思い、白黒の濃淡だけでは奴の瞳の色が表現しきれんな、と最近は思っている。とはいえ脳において人事の尽くしようは見えず、今さら総天然色のシステムに切り替わることもないだろうし、たかが夢に対して他にはそれほど思うところは見当たらない。あれの顔面自体は、単色の研ぎ澄ました画面に映えているものと思うし。
現実に目を戻そう。なかなかに腰を屈めて相対している鏡の中には未だ仏頂面の己が佇んでいる。しかして、いったいこんな顔のどこがいいと言うのか。と思うのは、そもそも歯を黙々と磨きながら、朝の貴重な時間で詮無いことを再確認していたのは、夢に出演する件の男に、毎度、昨日も言われたようなことの不可解さがまだひっかかっているだけの話だ。真ちゃん本当に顔はいいのに、角で出くわしたらひっくりかえるくらい美形だもんな、美人に生んでもらってよかったな。言われた詳しい経緯はさておき、折々で笑い騒ぎながら言われた言葉を再生する。ずいぶんと浮かれた響きをして頭を回る。皮肉か何かとも始めは思ったが、熱心かつ冗談を装った本心だとすぐ理解できて余計不可解になった。確かに、己が部品の構造や配置を受け継いだらしき母の顔は、陶器の人形に似た華やいだ円やかな線だが、男女が変われば顔の造作の意味などあっけなく変わるものだ。顔の凹凸は父に似たが、別段それに男の価値なども感じない。服を着替えるときに裾が引っかかるぐらいである。
つまり、嘆くほど醜い面構えではないと思うが、奴の讃える絶世の顔という文句には程遠い。ただ少しばかり濃くて、いちいちおおげさなだけの面だ。それがどうして美人とほめそやすに至った。視野が広いといえども、審美眼については節穴だということか。そういえば、趣味のカードだの言うもので、いろいろ大仰に描かれた女の絵に這いつくばっていたりするしな。珍しいのだ何だと騒ぎ、確かなんちゃらエルフなどと呼んでいたが、本来の西洋伝承とはほど遠い造形だったのだよ。全く、あいつは本当にわからん、入念なうがいを3回済ませながら眉を寄せる。朝の水道水と歯磨き粉は清涼な味がする。顔を拭いて眼鏡をかけ直すと明確になった視界で、変わらず不満そうな顔をした自分と目が合った。
ぶちぶちとうっかり下らない内容について考えてしまったから身支度に時間をくったかと思ったが、充分に許容範囲だった。要はまだおは朝の前のCMすら始まっていない。着替えて食卓につき母の作った和の朝食をていねいに平らげつつ、本日の託宣を待つ。幸いにも3位蟹座のラッキーアイテムは手軽な「分度器」で、わざわざ用意せずとも細々した道具をまとめた二つ目のペンケースに入っている。数学の授業がある日であれば教師の用意する黒板用の分度器に、真ちゃんあれは?大きいぜーなどと騒いだかもしれないな。戯れな連想をして、米粒をふくんだ口元がまたにやにやとほどけそうになるのを結びながら味噌汁の椀を運ぶ。あいつのことを思い浮かべると眉をしかめたり口がゆるんだりうっとうしくてかなわん。蠍座のアイテムは、いたずらでぱちんと引っかけるガムの玩具で、部屋にないこともなかったと思うが、奴にそんなものを持たせたら面倒なくらいに遊び始めることが容易く予想できたし、順位も2位とそう悪くなかったので持参はやめておく。
最後にお茶を飲んでテーピングを直し、教科と持ち物と朝練のメニューを確認していたところで呼び鈴が鳴る。今朝も、見えているのかと思うほど良いタイミングだ。母から弁当と、今日も一日がんばるのですよという朗らかな声援を受け取り、スポーツ鞄と分度器を携えて玄関へ向かう。靴を履く足が浮かれず歩き出すように、ということは一応気をつけている。見つけられたら、ことだ。
「真ちゃん、はよっ」
門扉を出たらなんか輝いている。今朝も輝いていた。飽きもせず案外と律儀に毎朝やってくるこいつの姿は、毎回俺の脳みそに一発の閃光めいた衝撃をくらわせる。おのれ高尾、と思いながらもおそらくそうした思考は全く現れていない態度で、ああ、と返す。十数時間ぶりの高尾に視神経が雀躍しているらしい。そのことには無視をしたい。落ち着け。そういった心を実感すると必ず、いつのまにか頭の中身をそっくり移しかえられてしまった如き気分になる。誓って、中学3年冬の俺に内心が混乱する予見はなかった。それも一年どころかわずか半年にも満たない期間で、しかも、なにかこう、いちじるしい友情めいたそれによる作用だとは、露程も。隣に立たれるたび肌がそわそわと浮き足立つのに、骨の芯までもが安逸しているような、どう言って良いものかやはり名状しがたい。他人に対してこんな心理に陥ったことは過去15年間なかった。これほど近しい人間が現れる天啓は、春期にいきなり飛び降りてきた。去年に出会っていたらしい男なのであった。朝の日差しに包まれて高尾は本日も至極に楽しそうないつもの顔を俺に向けている。俺はゆるゆると多くの感情が気泡し、混ざった眼差しを、まぶしいまま返している。俺の夢の中の再現機能も高尾に限っては捨てたものではないが、やはり格段に違いはあった。
「うっは、それ分度器?普段使ってるやつじゃん、ちっちゃくね、誰か数学の先生に借りてやろっか」
並んで歩き始めると、目敏く俺の手元を覗き込んだ高尾がちらりとこちらに目線を寄越しながら笑った。ああ、思った通りかこいつは、と考えるとじわじわ高揚するので抑える。きゅうっと縮んだ心臓はすぐ元の動きに戻った。迷惑になるだろう、だいじょぶだってそんな毎回使わねえよアレ、他学年の範囲は分からん、などと他愛なく会話を続ける。夥しい友情の観念に浸されて、まごついている精神を反映しない足取りは、ときどき、真ちゃん脚長えよ、という叱責をくらう。そのたび、速いと言うだろう、とあきれるのも快い。試合や何かの日に限らずもっぱら自分たちの移動手段であった自転車とリアカーを結んだ乗り物は路面凍結の危険から冬の到来と共に休眠となり、軽く早足の徒歩によって登校する日々が続いている。これによって変革が起きた。もちろん高低差は大きくあるが、以前の比でないほどにまともに顔が見えるのだ。首を上げてこちらを見やるまま、くつくつと喉を鳴らすように笑う、その尖った顎の流線、喉仏の微かな震えまでもが。
そこでまた、何回めの実感だかもわからないほどに思う。顔の造型がうつくしいというのは、遙かにこいつのことだ、と。
まるで熟達の絵師が一筆で息を吹き込んだように、まぶたの線はくっきりと吊り上がり、鋭い角度でもって流れる。秘めた能力のせいもあってか眼光は時としてきついほど厳しいのに、たとえ媚びるような目つきでふざけても愛嬌が勝っている不思議な目元だ。細めの凛々しい眉は笑うとふにゃり末広がりに眉間がゆるんで、やにさがる目尻とあいまって印象が急激にやわらぐ。真っ黒な髪はさらさらと微かに艶が走る。額の爽やかな滑らかさも、ほどほどの高さに通った鼻も、ときどきイヤフォンをはめている耳だとて形がいい。薄い唇はおおきく開けたり不満に尖らせたり、嫌らしく引き上げたりふにゃりとゆるんだりで一番忙しく、どんな表情を浮かべても悪印象を与えない。黙ってほほえんでさえいれば万人がうなずく好男子だと思うのだが、では多彩な顔色がすべてを打ち壊してしまうかというと決してそうでもない。しかし時として思案でもしてのことか、特段の表情を浮かべないままに晒しているまっさらな無表情は、背筋を何かぞっと走るくらい、得も言われぬ気配になる。
そうして俺が一番好ましく思うこいつの表情というと、勝ったときの喜びに震えた笑顔も、悪巧みを明かすときの子供めいた笑いもいいが、やはりこちらの心を溶かすように何の気なしに見通して笑うあの僅かな微笑がもっとも良いように思う。しゃあねえな、とか言うときのあれだ。甘やかで、とてもいい。頭から爪先まで許された心境になる。気っ風がいいのに蠱惑的で、他愛もないのに魅了してくる、ともすればありふれたような顔立ちであるとも見えるのに、そこらでお目にかかれた代物ではない、高尾はそういう顔だ。
容姿ただ一つで人間が判断できるわけでなし、自然にじみ出る内面を併せて顔というものは完成すると考えるが、高尾の場合は内外ともに相当の値打ちがあるのだ。これまで他人の容姿をことこまかに気にした覚えはないが、記憶と照らし合わせても、高尾ほど琴線を揺らす顔がなかったせいもあろう。だというのにこいつが俺の顔を羨ましがるようにとやかく言うというのは、さては、自らの容色の美点にさっぱり気づいていないためではないのか。およそ普通に見あたらないほどすぐれた容貌であるのに、俺の顔などを世に言う美だと思い込んで、ないものねだりを続けるのは、それは、高尾にも損なのではあるまいか。
そこでふと今朝の占いの結果を思う。「アドバイス運が上々な一日、気づいていることは皆にどしどし言ってあげましょう!」、これはつまり、そういうことだろう。ことが決まればあとはタイミングをはかるのみ、常のごとくへらへらと、何でもない話を喋り倒す心地のよい声に、時折小さく相槌を落としながら、会話の切れ目を2分ほど待つ。通学路の景色は常通り穏やかで、冬晴れの空はしんと静かに高い。
「あーあー体育、マラソンやだねー練習でも走るってのに」
「記録計測だったか、持久力が無いのだから、俺や陸上部へ無駄な負けん気を見せるなよ」
「えー?なんつうか自信すげえし、めっずらし。人事尽くさなくていいの?」
「尽くす先が違う、むろん過剰に手を抜くのは許さんが、優先順位は見誤るなと言っている」
「わかってるってえ念押すね真ちゃん。てかでも、俺もそこそこ夏から体力伸びてますし、いけちゃうよ?」
「どうだかな、忠告を無視してへばったら捨ててゆく」
「ひでー」
「高尾」
「ん?」
「お前は美しいぞ」
途端、がっ、とアスファルトに妙なつんのめり方をした脚がくずれ、グ、というような短い音を喉につっかえさせて、べしゃりと高尾が転ぶのを目の当たりにした。耳に砂嵐の音が走るほどに血の気が引いた。大丈夫か高尾!とうわずる声も抑えないまま、慌てて転んだ肩を抱える。なんか既視感がする。まさかいっぱしに呪い返しかあの焼け焦げた猿。あれはいくらか痛い目を見ていればいいが、高尾はひどいことになったら困る、すごく困る。先ほどもさんざ見とれていた顔面は元より、何よりも、これほどの味方選手に出会えるなどと思わなかったほど、この指にしっくりくるパスをくれる高尾の身である。精緻な手に、腕に、コートを見下ろし俺を導く眼に、駆け回る脚に、それらを司る頭に、心臓に、もしものことがあってしまったとしたら、尋常でなく困る。弱る。怖い。やはり起こってもいない事案を案じて出し惜しみなどせず、あのガムの玩具もしっかりと携えてくるべきであった。そもそも高尾が俺の指に害のある行為で遊ぶはずがあろうか。ない。だから俺も代わりに高尾の身体へ一切の危難がふりかからないように人事を尽くし尽くすべきであるのだ。
「だ、だーじょーぶっ、んなヤワじゃねえし、利き手ついてないし、手袋してるって」
駆け巡る情動にかられて支えるように抱き起こすと、よほどそちらに慌てたぐらいの早さで、伏せていた顔を上げて高尾は弁解した。成る程、ひらひらとかざして見せる手のひらはしっかりした形状の黒い手袋に包まれている。擦過傷の不安はない。念のため、と学生服の腕を片方ずつ軽く手指で押して確認するが、異常はなさそうだ。ついでに顔を覗き込んでみるが、前髪に少々砂がついたか程度で、それをぱっぱと払いのけてやれば済んだし、打撲や鼻血の気配もなかった。こわばっていた肩からふいと力を抜ける。冷や冷やさせるな、と知らず息をつくと、二人して座り込む形となっていたものを腕を引いて立ち上がらせられる。朝っぱらに学生が道端に座り込んでいては確かに良かないだろうが、どうして結局お前が世話を焼いたみたいになるのだ。この分ではまた、捨ててくとか言ってたのにな、などと冷やかされるのだろうか。何事もなくて安心した半分、高尾の切り替えがやや不服半分で鞄を掛け直し、先ほどより速まった足で歩き始めながら溜息をつき直して眼鏡を上げる。
「言わんことではない、朝から足がもつれるような体たらくで何がいけるというのだ、別状なくて何よりだが、やはり力走は控えておくのだよ」
「いやいやあの、えっと、マジボケ?今のはまっったく俺のコンディションの問題じゃねえからな!?お前が今しがた、ぶち落としやがった、でっかい問題発言が招いた動揺でしたよねっ!?」
けたたましく言い募られた内容に我知らず首をかしげる。かしげた途端に、そんなハテナって顔されても絆されてやんねえぞ!と焦った声が至近に飛んでくる。それはとりあえず聞きとりつつ無視しつつ考える。今の発言というと、言えた達成が転倒の衝撃に吹っ飛んでしまったが、今朝からしみじみと思っていた話題についての指摘だったか。おそらくそうだな。その直前、マラソンについての話のときまでお前はけらけら面白げに笑っていたものな。では、いったいあの親切なアドバイスのどこがお前に混乱を与えたというのだろう。
「お前を、美しい、と言ったことか?」
「それー!!」
問うと、思った以上の力強さで返されてびしりと指までさされた。ややとまどう。ずい、と前方への歩みを止めてまで詰め寄られてよりとまどう。高尾、朝練に遅れるぞ、と注意しても、なんか一旦それどころじゃねえわ後でとりあえずめっちゃ急ぐけど!と返答される。なんだかいやに鬼気迫る顔をしている。なんなのだよ。美しいものを美しいと言って何が悪いというのだ。頓着する必要があるのか、何だ。無自覚であったお前に自らの顔面の価値を教えてやって詰問される筋合いはない。連れだっていても歩く速度は一定に速く、朝練の時刻までの猶予はあるといえ、その猶予を生かしてさっさと到着し、余った時間を活用すべきなのだよ。あとその顔にまざまざ迫られると、妙にどきまぎしてしまって居心地がわるい。なぜだろう、先ほども思ったが、お前といると、落ち着くし落ち着かない。不思議で悪くはないが、理由が不明で、よくない。こっそりと視線を背ける。早朝の道路に、学生や通行人の姿も俺たち以外まばらだ。小鳥の声がしている。
「いや、見ろよ!責任もって拝んで答えやがれ!」
「か、顔を無遠慮につかむな!見ればいいのだろう見れば!」
「では問題!この!平凡な!顔の!どこが!美よ!?」
「すべてだ」
「っはあーー!!?」
即座に両手を頬に伸ばして人の顎をぎりぎりと固定してきたあげく、暴れるスタッカートを乱用した高尾は勝手に反問を絶叫して、ふらりと手を離した。そうしてもはや、理解できない、を手っ取り早く示すようなポーズで、つまりくるりとこちらに背中を向け、のけぞらせて天を仰ぎ、両手で顔を覆ってみせて、その腕を上に差し伸べた。ジーザス、などと英米人のごとく嘆く。ちょっと様になっている。見た目も中身も純正日本人のくせに。ああ、やはりまったく腕に問題はないようだな、よかったな、と俺は思っていたが、さすがに気圧されて黙っておいた。
「真ちゃん、まじで、教えてあげよう、美しい顔っつうのはね、お前みてえなことを言うんだ」
「そっくりそのままお前に告げる」
「本当に意味がわからない」
そのまま肩を落として続けられた言葉に、頭に浮かんだとおりの返答をすると、ゆっくり振り向いた顔は、もはや恨めしそうなまでにこちらを睨め付けていた。疲れているというか、悄然としている。そういう顔も結構良いな、と言いたくなったのだが、以下同文、やはり、相手の心情を読む術に長けているらしいこいつと過ごした時間の分だけ、俺も場の空気を知るようになった気がする。それを進歩と呼んでみることを、まんざらでなくも思ったことも、さほど悪くはない。うむ、と内心うなずくと、何ちょっと満足げな顔してんの真ちゃん、という据えた目での詰りが飛んできた。不当だ。高尾はまた頭を抱えながら肩を落とすと、肺の底から押し出した如き長い溜息をついた。
「…あー、あれか、贅沢な子の悪食みたい」
「は?」
「真ちゃんは、自分も家族もつるんでた奴らも美形だもんな。まじまじ見れる距離にきた、目新しい顔の人間を、変なインプットしちゃったのね、なーるー」
「何だ、そのとてつもなく苛立たしい結論は」
「れ、ご不満?でもそうっしょ、でなきゃそんな妄言吐かねえよ」
ああ、だいたいいつでも美しい気がするこいつにも、俺は好かない表情が一つあったなと思い至る。この、地上のすべてを了解していますよとでも言うような、上から目線の訳知り顔だ。一番好きな笑顔と紙一重だが確実に違う、ひとのことを世間知らずだと合点して、幼児を諭してやるような、やれやれと常識ぶっているときの顔。嫌いとまでは言わないし、これはこれでなかなかに美々しい姿であるが、どうもむしょうに反感の苦虫がおきる。仕方がない、言い聞かせてやろう。俺はやさしくなったのだしな。
「高尾」
「なに」
「俺は、俺の審美眼にはかなりの自信をもっている」
「変なマスコットを愛でちゃうわりに?」
「茶化すな。ゆえに俺はお前の機能的で無駄のない顔に美を見いだして疑いがない」
「褒めてねえよ。どうせシンプルだよ」
「高尾。…ああ、だから、つまり、お前にわかるように言うとするか」
「おん」
「単純に、お前と、お前の顔、好きなのだよ」
「……………ばーーか!!!」
高尾は、一瞬呆けて固まったあと、魚じみてはくはくと口を小さく開け閉めしたのち、普段の饒舌をどこへうっちゃったか、とんでもなく幼稚な捨て台詞をすごい声量でもって残した。俺に背を向けかなりの勢いで走り出してから振り返り、置いてくからな!馬鹿り間!と不名誉に叫んでしまうと、今度こそ完全な全力疾走を始める。肩に掛けた鞄ががっちゃがっちゃと揺れる。体力がないと注意したばかりだというのに、あれでは体育どころか朝練でばてるだろうが。あと弁当だとかも寄るんじゃないか。そう心配する余裕さえ乏しく、取り残された俺の胸の奥が、一心にむずむずしている。呆けていないであいつを追って走り出さねばならないのだが、すっかり今朝の夢が上書きされてしまったらしく、ちかちか、ちかちか、あざやかな赤面がひるがえって動けない。
なんだかあれは、「美しい」とは違ったような気がするのだが、いや、なんだ、あれは。
☆☆☆
いまさらごたくを並べる必要もないくらい、俺の相棒のお顔立ちはうつくしい。
太陽の光の下、広葉樹の葉っぱよりも断然深い、結晶の緑にきらめいて整えられた、触れたら冷たそうな髪。結構高価らしい黒ブチのさえない眼鏡越し、びっしばしの睫に警護された、その瞳の色。なにかを射抜くように睨むたび、眼差しからとてつもなく強い、火花みたいのが散っている。ギリシャ彫刻かよ、美術室に置いてこよう、ってぐらい端正な鼻筋、輪郭、横顔の完璧なシルエット。不機嫌ご不満に異議と嘲笑、まれに心配、口ほどにものを言うきりっとした眉毛を、ひそめたときの影。意志の強い沈黙をつきつける、堅くむすんだ唇、ほどけたときは案外よくしゃべること、その丁寧な声。顔がどうのというより指の一本まで全部美しいのであるから、神様が気合い入れて何か作ったら、こういうのができるらしい。そのたとえで言えば、片手間にぽいっと投げられたような、それにしちゃそこそこ上手くはできてたんじゃねえかと思う、けども隣に並んだら比べるべくもない、その程度の顔をしている俺は、緑間のかんばせをふと眺めるたび、ふえー、と気のぬけた声をあげずにおれない。
ただ、すげえな、上等で、おきれいね、と軽く言い捨てるのはちょっとためらわれる、ゴツくてイカツくて高くてそびえてて冷たくて手厳しくてコワモテの、えげつないくらい他人を遮断して何の揺らぎもない、そういう男である。でもちょいと懐にお邪魔してしまったらもう最後、世話が焼けるし世話を焼いてくるし両面で図々しい、情の深いちょっと抜けたところもある、良い男である。なにこのやな人、的部分を一気にずばあんと払拭してしまって余りある勢いで、面白くてかわいくて可愛い、すげえ可愛いやつなのである。
2メートル目前の男を相手に、こんなにまでのたまってしまう時点で、もし誰かに相対してこの内容を喋っていたら、もうおわかりであろう。殊更に言葉にまでしたくはない、煩悶にうーうーとうなってしまう、なんでこんな目になんて無様に頭を垂れている、そういうあれである。あいつ、神殿の彫像をとおりこして神殿の柱みたいな奴なのに。なんの因果だ。マジで。ほんとうに。呪詛のように歯ぎしりしたところで、降参するしかないのだが。
全自動ひた走り機みたいになっていた両脚が三つ目の角の信号にひっかかったことで仕方なく止まる。やっと止まった、と思う。頭が真っ白になってついアップもせずに爆走してしまった己を悔やみつつ、鍛えていようがここまでくるとふらついてる体を電信柱のなかほどに手をついて支える。ぜえはあぜえはあ忙しない呼吸をつとめて穏やかに直しつつ、足首を片方ずつねじり、負荷が悲鳴になっていないことを確認して、安心する。落ち着いてくると体が内側からかあっと熱くて、手袋の中までむせっていた。でも外すと外気がダイレクトで襲ってくるからよくない。あっつい。はあ、はあ、と息をつきながら学ランの襟元を仰いで、上着着てこなくてよかった、とだけ思う。冬の朝のつめたい風がひゅうひゅう、煮えている耳をさましてくれている。頬っぺたは焼きりんごになっているかもしれない。どんどこどこどこ、どんどこどこどこ、ご陽気な部族の太鼓かよってぐらいのリズムで、心臓の鼓動がノりまくる。なのに、ずっきゅーん、と収縮してしまった瞬間の感覚が、まだなんかちょっと残っていて、唇を噛む。
うつくしい、と動く唇。すきなのだ、と言った唇。どストレートにこっちを見下ろしてくる双眸。いやもうほんっと何の他意もないんだな完全普通なんだな、ていうのがまるわかりの、無垢なまでの、何の気ない言葉であった。十数センチ上からぶち撃ち抜かれる、俺の、ものすごいかわいいものの、銃弾。
信頼を刷り込んじゃったがゆえの俺をぶちころしてくる弾丸。
「勘弁してよ、エース様ぁ…」
お前のすきは、俺のすきなんかとは、威力が桁違いなんだぞ。やっと落ち着いた呼吸のなか、哀願する子犬みたいな喉声で懇願を述べたあと、へなへなと路上に座り込んだ。なっさけねえな。目下、心の中のオオカミ様を懸命にぐるぐる巻きに縛って漬け物石で封じ込んでいる男のくせに。あれに荒ぶっちゃうオオカミには目を覚ませって揺さぶりかけたいとこだけど。まじで。どうやったらどうできるの、あれ。いやどうにかする気もないですけど、したさはあるけど。海とかに沈めたいがな。我が心中の大嵐をとりあえず投げておいても、現実これから朝練で、体育はマラソン走る、そんな俺の体力ゲージは黄色。責任とれ。でもものすんごく動揺したあげくに消耗し倒したのは俺の衝動なわけで、真ちゃんからしたら完璧にあずかり知ったこっちゃ無いわけで、あーあーもう。ちらりと後ろの角を視野に入れても、まだ195センチの緑の美形野郎が呆れ顔で追いついてる気配はない。もうじき立ち上がろう、のろのろ学校まで進もう、もうここすぐ手前じゃねえか、と思いつつ頭を抱え込むように膝に額を寄せる。すん、鼻を鳴らして伏せた顔を、つめたい手袋のてのひらで撫でてはみたが、やっぱりどうも凹凸に欠ける、凡庸な顔があるだけだった。これのどこが、また呟いてみてやめる、まぶたに潔癖な美貌がうつる。
あれ、今夜にでも夢に出ちゃったら、どうしよう、俺どうしよう、泣こう。
-了-
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☆惚れりまを摂取したくて、デレをどこまで盛れるかな みたいな
正直すまんでした